よろずを継ぐもの

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つたや總本家「カスドース」

お菓子の史
第16話
2024.2.22
そのむかし卵や砂糖が贅沢品とされていたころはお殿様しか食べることが許されなかったというお菓子。そんなストーリーをなぞりながら15時のおやつにパクついてみると、私はきっとお殿様にはなれないだろうから、恵まれたこの時代に生まれ、一般庶民の私でもこのお菓子を食べることが許されていて良かったなぁとしみじみ感じられました。
食文化はしばしば、その土地の歴史や文化を象徴するようなものがみられます。海が近ければミネラルが豊富な塩が使われてみたり、気候が南国に近い場所ならば南国フルーツを原料としたスイーツが揃っていたり‥土地ごとの環境や歴史、そしてそこに創意工夫を凝らす生産者の方々の苦労や研鑚が加わり“知る人ぞ知る”銘菓が生まれ受け継がれていくのでしょう。そんなお菓子にまつわるストーリーに想いを馳せながらいただく3時のおやつという楽しみ方もなかなか。知的欲求+小腹が満たされる毎日のご褒美みたいな時間になりますね。

つたや總本家「カスドース」

ポルトガルから来た宣教師たちが伝えたもの

1543年(天文12年)の鉄砲伝来によってはじまったポルトガルとの南蛮貿易により商船が出入りしていた平戸に、フランシスコザビエルをはじめとするキリスト教(カトリック)の宣教師たちによって伝えられたとされるものはたくさんあるといわれています。布教のために配られたという南蛮菓子の数々は、いまもなお各地の定番土産として根付いているものも多く、カステラや金平糖、ぼうろ、ビスケット、タルト、鶏卵素麺‥など広く知られる物から知る人ぞ知るお菓子まで販売されています。
カステラはもちろん有名ですが、そのカステラにひと手間加えた「カスドース」もまた、知る人ぞ知る銘菓のひとつといえるでしょう。

つたや總本家「カスドース」

卵も砂糖も貴重だった時代に保存のきく製法で作られた「カスドース」

そのむかし平戸藩外不出の御用菓子として、外に出すことが禁じられていたという「カスドース」、蔦屋さんでは無添加・手づくりで400年以上代々に渡り継承されてきたんだそう。平戸藩主・松浦家が150年以上も前に編纂した「百菓之図」というものが現在も松浦家にて保管されているといいます。その名の通り、当時の平戸で銘菓と呼ばれていた百種類のお菓子を紹介する書物で蔦屋の「カスドース」が描き残されているんだとか。
甘さ控えめのカステラを焼き上げた後にひと晩かけて乾燥させたのち、たっぷりの卵黄にくぐらせて、沸騰した糖蜜に浸け卵黄に程よく火を通す。そして最後に砂糖をまぶして完成するという「カスドース」。冷蔵設備がない時代に先人たちが生み出した日持ちを良くするためのお菓子づくりの知恵が受け継がれ、今もなお2日間手間暇をかけて丁寧に作られるといいます。
製法を見ていてフレンチトーストみたいだな!と思ったあなた、正解です!個人的にはフレンチトーストを100倍美味しくしたスイーツといった感じです。さらにふにゃふにゃになりがちなフレンチトーストにはない、しゃりしゃりとした食感の楽しさと、卵黄のコクが少し違う点だと思います。

つたや總本家「カスドース」

しゃりしゃりとした砂糖の食感がたまらない

カステラといえば牛乳派なのですが、カステラよりも数段甘いカスドースはブラックコーヒーやストレートティーがおすすめかもしれません。大阪のカステラ銀装の窯出しカステラのザラメの食感が大好きな私は、とにかくカスドースのまわりのしゃりしゃり食感にはまってしまいました。三幸製菓の三幸の柿の種梅ざらめ味や、最近はまっているKabayaのゴリむち3のゴリゴリコーラ(グミにザラメがまぶしてある)など気がつけばザラメの沼にハマりつつあることにカスドースが気付かせてくれました。そういえば、小さなころに母についていった喫茶店のテーブルの上にルーレット式おみくじ器の横に必ず置いてあったコーヒー色のザラメをこっそり食べていたなぁ。家に帰って台所にある白い砂糖をなめてみてもべつに美味しくないのに、なぜかあのザラメは美味しくて飴のように舐めたりかみ砕いたり‥。ちなみにザラメではないのですが岡山の古見屋羊羹の高瀬舟羊羹(表面が糖化したころが食べごろで普通のしっとりした羊羹と別格の美味しさ)もまた食感が楽しくおすすめです。
ただただ直感で美味しいというものももちろんありですが、今どきの「映え」や「食感が楽しい」「ストーリーが興味深い」などの要素も本当に大切なんだなぁと最近実感しています。がりがりとした食感と言えば‥あまり食した記憶がない南蛮菓子の金平糖に次はチャレンジしてみようと思います。
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