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島の幸々

八重山みんさー織 五つと四つの絣模様に「いつの世までも末永く…」の想いを込めて

石垣島/あざみ屋
2023.3.27
今から約400年もの昔、珊瑚礁の海に囲まれた美しい島で育まれた織物は、女性たちの共感を呼び、母から娘へ、さらには孫へと受け継がれてきました。
それが八重山みんさー織です。

五つと四つの絣模様に「いつ(五)の世(四)までも末永く…」の想いを込めて自らの手で織り上げ、愛する男性へ贈ったものでした。
戦後、洋服の普及によって、一度は衰退しかけた織物を、八重山みんさー織 織元あざみ屋みんさー工芸館館長・新 絹枝氏(97歳)は「伝統を引き継ぎながらも、革新を目指していく」として、より身近なものにしていったのです。
八重山みんさー織 五つと四つの絣模様に「いつの世までも末永く…」の想いを込めて
石垣島の風土と八重山みんさー織の歴史と継承

石垣島は、沖縄県の県庁所在地・那覇市から南西に約400Km、飛行機では1時間ほどの距離にあります。八重山諸島の中核の島で、およそ5万人の人々が暮らしています。
亜熱帯の気候により植物は1年中緑を彩り、透明度の高い海ではスキューバダイビングやシュノーケルのアクティビティを楽しめます。
また、石垣島とその周辺の島々からなる西表石垣国立公園は日本で初めて「星空保護区」に認定され、夜空に輝く美しい星を観察できるスポットになっており、日本でも屈指の観光地となっています。
祭り事や伝統芸能も盛んで、唄や踊り、三線演奏など、一芸を持っている人も少なくありません。

今回ご紹介する八重山みんさー織りは、1989年、伝産法に基づき「八重山ミンサー」として経済産業大臣から伝統的工芸品の指定を受けました。 (※有限会社あざみ屋では1971年より用いている「八重山みんさー織」として踏襲しています。)
八重山みんさー織は素材が木綿、組織が平織り、生産地は石垣市と竹富町とする織物です。最大の特徴は、五つと四つの絣に「いつ(五)の世(四)までも、末永く…」という想いが込められた柄です。
元々は1色の「ミンサーフ(ウ)」という藍で染めた帯であり、婚約が成立した証として、女性が自ら織り上げ、男性へと贈ったものでした。
近年まで竹富島で帯として使われていたものが、今日の八重山みんさー織の原型です。

時代の推移と共に一時期は消滅寸前になりましたが、1970年頃にあざみ屋みんさー工芸館館長・新 絹枝氏により、現代の暮らしの中でも使えるよう「伝統を引き継ぎながらも、革新を目指していく。」という思いから、元来の藍1色の帯から更に進化を遂げ、化学染料を併用することで豊かな色彩を作り出し独創的な配色の広幅の布が織り出され、それらが作り出す帯以外の工夫されたアイテムによって現在の普及に至っています。
八重山みんさー織 五つと四つの絣模様に「いつの世までも末永く…」の想いを込めて
八重山みんさー織の製品作り

みんさー織の染色、整経、絣括り、製織などの作業工程は、専門技術者が昔ながらの手作業にて行います。最後の工程である織りは、みんさー織講習を受けた織子という織り専門の職人たち(現在約70名)によって製織されます。
3ヶ月の織講習を受講したのち織子としてスタートしますが、さらに数年間織りこなして一人前になります。これら織子ひとりひとりの技術が大切な財産といえます。

綿の風合いと、五つと四つの独特なみんさー絣を大切にしながら、南国の自然豊かな色彩をモチーフとしてテキスタイルをデザインしていきます。
織り上がった反物は、バッグ、ネクタイやシャツ、雑貨小物、インテリアなど多様な「普段の生活の中で活きる」製品へ生まれ変わります。

ひとりひとりの手作業によって作られる、みんさー織の製品。
決して機械で作られたものでは出せない温かみと丈夫さ、そして伝統的手法を現在に伝える、八重山の文化を、暮らしの中に取り入れてみてはいかがでしょうか。

南の島の風と香り、色彩を皆様にお届け致します。
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