よろずを継ぐもの

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幸福論

寺社の掲示板
第3話
2024.2.1
「幸せとは何か?」人生においてなかなかに難しい問いです。しかし自分にとっての幸せとは何かを知っている人は素晴らしい人生を歩んでいるのではないか⁉と思う時があります。この「〇〇とは何か?」というシリーズの問いにはおそらく正解はなく、人それぞれ、生まれや年齢、趣味趣向によって何万通りも存在する解なんだと思います。
この世の中に何万通りもあるであろう「幸せとは何か?」の解。
誰かに教えてもらえることではないのでしょうが、人生を少しでも楽しく、軽やかに過ごすためのヒントは欲しいものです。
少し気分の沈むとき、疲れが溜まり自分への意識が薄れたときに、「私はいったい誰の人生を歩んでいるのだろう?」と考えてしまったり、他人の幸せや楽しそうな姿を前に「どうせ‥、なんで?やっぱり自分は〇〇‥」といったネガティブ思考にはまってしまったり。そんな長年人間をやっていれば誰でも経験するであろう山あり谷ありの感情の起伏のようなもの。それこそ先人の方々のひと言を心にとめて、感情の起伏の激しい時に心の中で呪文のように言葉をなぞり「焦らなくていい、パニックを起こしてはいけない、冷静にあれ。深呼吸。大きく大きく深呼吸。」と自分を落ちかせることが出来たら幾分楽になるのではないでしょうか⁉ 。

幸福論


神戸市 正覚寺の掲示板から

偉大過ぎる漫画家 やなせたかし氏のこの言葉は、自身の戦争体験から作詞したのでは?とも言われているアンパンマンのマーチの歌詞をふと思い出させました。

―――
なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ
―――『アンパンマンのマーチ』より

外的要因に起因して自分を見失いがちな時ほど、幻想に近い幸せそうな人のイメージと自分のおかれた現実とのギャップに押しつぶされそうになることがあります。また「幸せとは何か?」を見つけなくてはという焦燥感もまた、自分をすり減らしていく気がします。 そこでやなせたかし氏の言葉に戻ってみてみると、「宝くじが当たった!」とか「なんとなくSNSに投稿した動画がありえないぐらいバズった」とか、いつ起こるかわからない特大ラッキーを期待するのではなく、穏やかな、何のへんてつもない日常の中の幸せに気づきなさいと優しく言ってくれているような気がします。自分の心の声を聞く作業を忘れてはいけない、だって日常の中に小さなラッキーや、ワクワクすること、美味しいものを食べて思わず笑顔になったり、明日誰かに教えたくなることがあったりするでしょ?と。

幸福論


神戸市 浄業寺の掲示板から

では日常のなかにさりげなくひっそりとかくれている幸せとは何か?
そんなヒントもまた別のお寺の掲示板に書かれていました。
「やってもらって当たり前」といった自己中心的な考え方では感じることのできない「ありがとう」と感謝する気持ちをもつこと。「朝から元気よく声をかけてくれてありがとう」「寒い日に重たい荷物を自宅まで届けてくれてありがとう」「可憐な花を咲かせてくれてありがとう」「綺麗な星々の光を届けてくれてありがとう」‥。人に対しても、自然に対しても、物や出来事に対しても心の中で感謝の言葉をつぶやいてみると、無感情のまま、忙しく流れていく時間の中にも愛おしい事象が溢れていることに気が付かされる気がします。
もしかすると「何に対してありがとうと思い浮かべるか?」は正直関係なくて、浄業寺の掲示板にあるように「何かに対してありがとうと思い浮かべることができたなら、その時間、そう意識できた自分は今日の幸せを感じ取ることができた」という事なのでしょうね。

幸福論
神戸市 泉勝院 願勝寺の掲示板から

さらに日々の中で誰もが体験する「出逢い」についても解釈の仕方で幸せがかくれているというヒントを見つけました。
日本の人口は1億2409万人(2024年1月1日現在)、世界の人口は80億4500万人で2023年に初めて80億人(国連人口基金「世界人口白書2023」より)に到達したといわれています。
一方、わたしが今日
仕事で名刺を交換した方は2人。
通勤電車のボックス席で一緒になったのは3人。
お昼を一緒に食べたのは2人。
いまオフィスで一緒にいるのは16人。
日本や世界の人口を分母として今日私がかかわった人を思う時、それは本当に出逢ったこと自体が奇跡に近いということなのかもしれません。
「縁」を重んじ感謝をする。毎日顔を合わせればありがたさも薄れてしまうけれど、家族/世界人口でイメージしてみれば、急に感謝の気持ちでいっぱいになります。
この幸せもまた、人に対してだけではなく、帰り道に暗がりから「お帰り」と鳴いてくれた猫さんにも、昨日同僚に教えてもらった美味しいおやつも、帰りの電車でたまたま空いた席も‥出逢ってくれてありがとうと思えてきます。

先日マクドナルドのモバイルオーダーをしたら注文番号がM777でした。コーヒーを受け取る際に少し照れながら、でもちょっぴり誇らしげにスマートフォンの画面を確認のために見せたところ、店員さんは無反応、当たり前ですが華麗なるスルーでした。でもそれでもいいんです。M777のスクリーンショットを見返しては、その注文番号が出たときの「あっ!今日良い事あった!」と心の中でつぶやいた瞬間を反芻し、もう2度と出ないかもしれないM777と出逢えた幸せを今日も私は噛みしめています。
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